心に刺さるのでメモ
引用 私の幸福論
思うに私たちはなにか行動を起こすばあい、「将来」ということに、そして「幸福」ということに、あまりにこだわりすぎるようです。一口で言えば、今日より明日は「よりよき生活」をということにばかり、心を用いすぎるのです。その結果、私たちは「よりよき生活」を失い、幸福に見はなされてしまったのではないでしょうか。それなら、ここにもう一つ別な生きかたもあったのだということを憶い起して見てはどうか。というのは将来、幸福になるかどうかわからない、また「よりよき生活」が訪れるかどうかわからない。が、自分はこうしたいし、こういう流儀できてきたのだから、この道を採るーーそういう生き方があるはずです。いわば自分の生活や行動に筋道たて用途し、そのために過ちを犯しても、「不幸」になっても、それはやむをえぬということです。そういう生き方は、私たちの親の世代までには、どんな平凡人のうちにも、わずかながら残っておりました。この自分の流儀と自分の欲望とが、人々に自信を与えていたのです。「将来の幸福」などということばかり考えていたのでは、いたずらにうろうろするだけで、どうしていいかわからなくなるでしょう。たまたま、そうして得られた「幸福」では心の底にひそむ不安の念に、絶えずおびやかされつづけねばなりますまい。それは「幸福」ではなく、「快楽」にすぎません。