僕は自己防衛本能で、金とキャリア以外を切り過ぎたのだろう

社会人生活十数年を振り返ると、自己防衛本能によって金とキャリア以外を切り過ぎた。

とにかく、大学院卒業後に奨学金700万をかかえ、ブラック企業に入ってしまい、学生時代は勉強もまったくしておらず、人生が詰んでしまったと思ったんだ。

だが、そこから、会社が買収され、仕事内容がかわり、運よくキャリアのつく仕事がまわってきて、数年その仕事をしたあと、大手に転職できた。

奨学金も、大手に転職したおかげもあり、なんとか返済できた。

そんでそのころから投資をやりはじめ、米国株に全振りし、なんとか目標だった資金にも到達した。

 

しかしキャリアと金以外はすべて捨てた・・・。

 

趣味も殆どしなくなった。本当はピアノがやりたかったが、休日は寝るのに精一杯で、やる気力がなかった。

社会人になって友達も彼女もまったく作らなかった。既存のつながりは、自然に希薄になるのに任せていった。自分から切ることもあったし、切られることもあった。

飲み会も最小限にした。(人との繋がりが希薄になっていけばいくほど、何を話せばいいのかよくわからなくなっていった。休日はどこにもいかないし、誰とも会わないのだから、話たいことがないし、振られた話を建設的に返せることが少ない)

 

こういうのってもはや、哲学的、文化的には、人間じゃないんだよな。

生物学的にホモサピエンスに分類されているだけだ。

 

最近、ようやくそういうことが分かってきた。今更ながら自分の生き方が恥ずかしくなってきた。

恥ずかしいということが分かるくらいの経済的な余裕が、やったと持てた、ということかもしれない。

或いは、人間は死すべきものなのだから、金やキャリアを優先して人のつながりや自分の趣味を疎かにしてしまうと、それは無限に空虚な人生を送ることになるだけである、そのことが漸く理解でき、こういう事を感じはじめているのかもしれない。