あくまで本日時点での気分に過ぎないが、僕は45歳で1億円ためて早期退職しようと思っている。
現在の金融資産の評価額は、5400万円である。5400万円/1億円とすれば、到達度は54%かに見える。
いや、しかし、複利計算を前提のシミュレーションに基づけば、相場にもよるが、45歳における僕の金融資産の評価額は、およそ1億円に到達する可能性が、50%くらいはある。
つまり、到達度のノミナル値は、複利運用を前提とすれば、89%になる。
どういうことか?というと、現在僕は40歳である。
到達度を40歳/45歳とすると、89%まで来たことになる、という具合だ。
もう89%まで来たぜ!あとちょっとだぜ!と思うことで、今日を乗り切る精神的な栄養剤のひとつにしたい。
89%になる、という計算の根拠は、上述のように複利運用を前提としている。
であれば、蓄財を開始した、25歳を基準に測定すべきではないか?という考えも、もたげたのは事実だ。
すなわち、(40-25)/(45-25)=75%である。
まあ、これでもいいのだが、個人的には違和感があった。
なぜなら、僕はこれまでの40年間の全てをかけて、結局、自分が思うような人生に少しでも近づけるためには、1億円、なしいはそれになるべく近い額の金融資産が必要だ、という結論に至っているのだ。
だからこそ、到達度を計算する指標としては、蓄財にかけた年数ではなく、僕の年齢そのものを適用したい。
蓄財をしていない、0歳~25歳の間は、「自分という人間を理解」し、「自分が自分の思うように生きていくためには、どうしても金が必要である」と気が付き、「蓄財」という課題解決手段を探し出すための、準備期間だったのである。。
実際、僕は幼稚園~大学院~会社員まで、全ての集団になじめなかった。
幼稚園→集団になじめず、中退
小学校→集団になじめず、ハブられる
中学校→集団になじめず、ハブられる
高校→集団になじめず、ハブられる、途中から不登校
浪人時代→集団になじめず、途中から不登校
大学時代→集団になじめず、途中から不登校
大学院時代→集団になじめず、途中から不登校
会社1社目→集団になじめいがしぶしぶ続ける 最高年収500万円
会社2社目→集団になじめず、上司と衝突しつつもしぶしぶ続ける 最高年収600万円
会社3社目→集団になじめず、上司と衝突しつつもしぶしぶ続ける 最高年収1000万円
こういう感じで、常に世の中となにかしらの形で戦っていた40年間だった
いろいろな障壁とぶつかりながら、無様ではあったが、必死の思いで、なんとか世の中の片隅に引っかかってきた。
生きてくるうちに、金があれば、人って何とか生きられるんだな、と知った。
(本質的には、幻想ではあるのだけれど、それはここではおいておく)
金融資産は、自分とは相いれない異質の世の中(世間)から、ささやかな自由を買い取るためのチケットなんだなと思うようになった。そのように考えれば、金融資産1億円の到達度を評価するのに、年齢をつかうのは、感覚としてそこまで違和感はない。
最新の世の中では、こういうのをFIREと言っているみたいで、僕も一時期に良いなぁと思っていたことはあった。
だけど、FIREって、僕のような1億円程度の株式を中心とした金融資産運用を前提とする生活の場合だと、生活費用の依存先が、会社の給料から株式の評価額に代わるだけであり、そこまで胸を張って経済的自立といえるというわけでもない。
さらに米国と中国のW属国の国の分際で、自由などというのはおこがましい。
そう思って、FIREをなのるのはやめた。
(人がなんと名乗ろうと、それをとやかく言うつもりは毛頭ないですが・・・)
89%達成。あと11%。今日も頑張った。なんとか、踏ん張っている。