終戦記念日(敗戦の日)

今日は終戦記念日だった。

正確には大東亜戦争敗戦の日だ。

終戦記念日というのは、名前それ自体が個人的にはあまり事実を正確に表した名前でないと思う。

「戦争が終わったことを記念する日」という意味あいなんだろうが、戦争は勝負事であり、日本は負けたのである。

そこから考えると、正しくない点が3点ある。

1点目:能動性

戦争は「能動的に始めた」のであるが、「終わった」というのは、受動的である。

当時の政府が勝手にやったことであり、国民に責任がないとでもいうのだろうか。

2点目:「記念」という言葉

負けたことをなぜ記念しなければならないのか分からない。

3点目:「何の」戦争に関する日なのかわからない

大東亜戦争という大義を掲げて負けたのだから、その大義が分かるような日の名前にすべきである。

 

正しくは、敗戦したことを反省する日であり、二度と負けないためには何をしたらよいのか考える日にすべきである。

よって例えば大東亜戦争敗戦の日にすべきである。

または大東亜戦争の振り返りの日、大東亜戦争 屈辱の日でもよい。

 

金融商品への投資でも、勉強でも、技術でも、仕事でも、人生でも、あらゆる分野で同じことだ。

過去を正しく振り返り、未来に同じ過ちを犯さないように、現在に何をすべきか考えて実行することが必要だ。

この事ができなければ、その人間、組織あるいは国家は、滅びるほかない。淘汰されるほかない。

なぜならこの世界は、弱肉強食なのだから。

同じ失敗を繰り返していては、弱者は永遠に弱者のままである。

日本はこのままだと滅びるな。